母とシビックホールに行って、夕陽を待った時の写真。もやに包まれた東京は、ちょっとやわらかく見える。
人と話さない日は、たぶん、ない。
最近のできごとをよ〜く振り返っても、「話したことのない日」を探すことは難しい。
日々誰かしらと言葉を交わしているのに、
「寂しいと感じることはないでしょ?」 と、問われても、yesとは言えないことが多かった。
ここ最近は、特に「寂しい。どうせ一人なんだ。」とか、「私は、なんてダメなんだろう。」と感じてた、と思う。
駅のホームで泣いたり、
本を読みあさって、今の私の境遇に似たような言葉を探して、自分を肯定することに必死だったと思う。
必死に探さないと、大切なことが消えてしまいそうで、自分の存在なんて忘れられてしまうと思ったし、
自分の大切なことを殺してしまいそうだった。
節分は祖父母の家で過ごした。いつの間に、こんなに多くの豆を食べる年齢になったんだろう。
だから、実家に帰ったり、祖父母の家に泊まったり、
通っていた高校へ行ったり、前に勤めていた会社の人に会ったりして、
自分のルーツに触れる時間をとっていたように思う。
(そういう時間を取れるタイミングだったというのもあるけれど。)
ベランダに積もった雪にダイブしてみたら、「寒い」よりも、「ふかふかで気持ちいい。」と感じた。
東京で珍しく雪が降った日。
ご近所イノベーション学校の講座で、橋本久仁彦さんが講師をする
「聴くこと」を味わう2日間に参加した。
ご近所イノベーション学校主催側の坂倉杏介さんと、講座の講師の橋本久仁彦さんは、
2012年に行われていた「ともに生きる技術」という勉強会のときにお話を聞いたことがあった。
坂倉さんの場に対する在り方や手法が興味深く、印象に残っていたし、
橋本さんとは、休憩時間にほんの少し立ち話をしただけなのに、うれしくて泣きそうになるという体験をして、
そのことが、忘れられなかったので、「また会いたい。」と思って参加した。
橋本さんを囲んで。講座を受講したメンバーと。
「聴くこと」を味わう2日間。
私の今回の目的は、坂倉さんと橋本さんに「もう一度会いたいなぁ」と思ったからで、
それは参加した時点でだいぶ達成されてた(笑)
けれど、もう一つ気にかかっていたこと。それは、
橋本さんと、たった5分程度話しただけなのに、“泣きそうになった”体験
のこと。
思い返してみると、あの時の私は、橋本さんに感想を伝え、少し質問され、それに答えただけなのだ。
うれしくて泣きそうになったことのヒントは、もしかしたら「聴き方」にあるんじゃないか?
と、かすかに思ったことも参加するに至った理由だった。
講座の帰りみち。見知らぬおじちゃんが一人で一生懸命つくっていた雪だるま。
けど、講座の最中に、何かを必死にメモし、「ノウハウを得た」とか、そんなことではなかった。
私がノートに書いたことは、橋本さんや、他の参加者の人たちが話していて、
「なんかいいなぁ。」と感じた言葉のかけら。
花が咲くプロセス・タイムラグ・コトバゲンバ・目を凝らしていく・生き様
とか、そんな感じだ。
講座の中でやったことといえば、
1:参加者同士、偶然となりに座った人とペアを組み15分間、相手の話を聴く。
2:録音した、相手と自分のやりとりを家に持ち帰り、聴いて、逐語録をつくる。
3:みんなで録音したものを聴き、橋本さんと共に逐語録を追う。
逐語録作成中のわたし(パジャマ)けっこう時間かかるし、大変だった。
文字起こしとはまた違う。「逐語録。」
予想以上に大変だったけれど、ペアの相方“たばちゃん”のお話を「味わい」ました。
この写真(↑上の)は、「味わっている」ときの写真。
講座の名前に込められた意味を感じられたときの、貴重な写真(笑)
帰ってきて、中華あんかけそばを作って食べた。おいしかった〜。
今まで、一体何を食べてきたんだろう?的な感覚。
「はじめまして。」だった、わたしと“たばちゃん”
しっかりと話したのは、15分のみ。
けど、私は、たばちゃんのいろんなことを受け取ったし、私のいろんなことも受け取ってもらった。
そして「逐語録」という「形」に残してもらい、私たちの人生のうちの15分間は存在感を増した。
15分話しているときand聴いているときは、「こんなどうでもいいこと、、話していいのかな。」とか、
「ちゃんと聴けてるのかな。」って不安に思ったりしたけれど、
録音したものを聴きながら、逐語録をつくっている中で、
15分のあの時間が「ちゃんと」存在し、成立した感じがした。
たばちゃんがつくってくれた私の逐語録。手書き、うれしかったなぁ。
ずっと昔からの友だちだったり、何回も会ったことのある人としてきた今までの「会話」って一体何だったんだろう。
それは、安くて大して味わい深くないものを、「量さえあれば満たされる。」と食べてきた感じに、似ていると思った。
口の中という、見た目にわかるような、小手先みたいな場所だけで味わっている「浅い」感覚。
「浅はか」とは、よくできたことばだなぁ。
ほんとは、食べ物は喉を通り、胃に入ったり、からだを巡ってゆくというのに。
確かに一時期に、満たされる。
けれど、すぐ空腹になったり、どこかに支障をきたしたりする。
薬が必要になったり、すぐに「また、また」って、急いで、不適切な量をいただくことに似ているな、と思った。
橋本さんと。再び会えて、よかったなぁ。
大人になってから、子どものときにはなかった、「シンパシー」を感じるという感覚がたまにある。大切にしよう。
坂倉さんが、「橋本さんの講座を受けて、人生変わった。と言っても過言ではない。」と言っていた。
私も、変わった。
めちゃくちゃ嬉しいとか、めちゃくちゃショックな出来事があって、「人生が変わりました!」とか、
そんな乱暴なことではなく、
なんかこう、じわっと、
けれど確かに感じる「今まで」と「今」の違い。
とっても大切なことを知り、感じれて、その質の詰まり具合に満ち満ち?で、
ずっと浸っている。
もうちょっとこの感覚は続きそう。
人は、どうせ一人だ。
けど、一人なのに“存在”できているのは、誰かがいてくれるから。
ありがとう。
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