お問い合わせ
“ホンモノ”に触れると、“ウソ”が際立って見えてくる。

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 おととい、やっと坂本フジエさんにお会いしてきました〜^^とっても素敵な方でした*

 

先日、障害のあるお子さまと暮らすお母さんから、

ぱぱとままになるまえに】の問い合わせフォームを使って、メールが来ていました。

 

▼以下、少し引用させていただきます。

ーー出来の悪い子なんか、いらない。産む前に分かってラッキー。

そんな風潮が社会でつくられているように感じます。

ぜひ、これから子を育てる人たちには、出産、育児の様々な面にも目を向けて欲しいです。

命って本当に、奇跡の連続なのです。

子をもつって、大人のステータスじゃない。

時には、子をもたない人生を受け入れなければならないこともあります。ーー

ぱぱままの活動を、たまたまHPで知ったそうです。

ぶわーっと勢いで文章を書き上げたような感じを受けました。

(強い“気持ち”を感じ、私の心も動きました。)

 

「命って本当に、奇跡の連続なのです。子をもつって、大人のステータスじゃない。」

そこに私はとっても共感しました。

 

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そして今日、たまたま知ったこんな記事。

ダウン症の「出生前“治療”」ができるようになる?

http://president.jp/articles/-/12106?page=2

この記事を書いているライターの方のFacebookのフィード購読をしており、

この記事のことを知りました。

 

彼女はFacebookにコメントと共に記事をシェア。

▼一部を抜粋。

ーー難しい問題もはらんでいますが、

誕生後の子どもを楽にしてあげられる「医療」としての出生前診断もあるということは知られて欲しいと思います。ーー

 

なんて酷いことを書くのだろう、と感じた。

綺麗事かもしれない。

けど、やっぱり私は障害が全てではないと思っています。

 

私自身の中で、出生前診断の、“いい・悪い”の答えは出ていないし、

これからもまだもうちょっと考えていきたいテーマです。

でも、出生前診断って、

“人がしていい範疇を越えたこと”をしてしまっているんじゃないかと感じています。

 

ライターさんが記事を紹介するコメントのところで、

“子どもを楽にしてあげられる”と記載してあったところも気になります。

 

これじゃぁ何だか

「出生前診断をしなかった結果、子どもが障害を持った場合、子どもに苦労をさせているのは、親」

のように感じとれてしまう。

綺麗事かもしれないけど、

子どもにとって障害があること“のみで”苦ばかり訪れるわけではないと思うんです。

 

「障害がない=楽な人生・幸せな人生だ。」とは言い切れないし、

障害があろうがなかろうが、苦しいこともあるのが人生だと思います。

 

しかもこの文脈において、まるで子どもの“楽”を思うならば…みたいに書かれていますが、

たぶん一時的に親が“楽”になるのだと思います…。

 

▼記事の引用

ーー知的障害の度合いは必ずしも幸せを決めるものではないだろうし、ダウン症は個性であるという観点に立てば治療という表現も適切かどうかはわからない。今、ダウン症を持つ子どもを育てている人は、その子のありのままを愛しているからだ。

でも、何かできることがあれば、未来に生まれるダウン症の子どもたちは就ける職業の選択肢などが増え、社会でもっと活躍できるのかもしれない。ーー

 

「就ける職業の選択肢」というポイントだけで、出生前診断・出生前治療を“オススメしつつ、知らせる”記事を書いていいのだろうか?

なんだかとっても短絡的すぎると思うのです。

 

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私たちは、まだ若いです。

今の20代が、これからの社会をつくっていきます。

だからこそ、大人にだまされないで、

ちゃんと問題を見つめていきたいし、

「つくりたい未来」をみんなで考えて、行動していきたい。

 

私は、出生前診断をしたり、出生前治療をすることで、

障害児が減ったり、障害の程度が軽くなった先に、

望んでいる未来があるとは思えません!!!

断言できる。

 

もっと、違う方向・いろんな方向から、このことは見ていかなきゃいけないんだと思います。

だからこそ、いろんな人(世代も職業も性別も)と手をつないで、

考えたりしなきゃいけないんだ。

 

あー久しぶりに怒って文章書いちゃった。

ひろみ