ぱぱままのスタッフ
ぱぱとままになることをゆめ見る人を増やす「ぱぱとままになるまえに」は、
ぱぱとままになるまえのこんなメンバーで構成されています。
ここでは、そんな”チームぱぱままーず”のみんなをご紹介します。
1987年7がつ7にち七夕うまれの、埼玉県育ち。
2006年筑波大学附属坂戸高校卒業、
2010年、日本社会事業大学社会福祉学部、児童福祉専攻。
「対処療法ではない、児童福祉の根本的な問題解決」の方法として、2011年2月【ぱぱとままになるまえに】立ち上げ、代表を勤める。
幼い頃から妊婦さんに強い憧れと、尊敬のきもちを抱いており、自身がママになるまでの過程を「いろんな妊婦さんに会いながら探求していきたい!」と思っている。
「よいこのみかた」が人生のテーマ。枠にとらわれず、子どもに関わるプロでいる、というスタンスをとっている。
実は、旅がすきでヒッチハイクで日本一周をしたり、東京から富士山まで徒歩で旅をしたこともあるエネルギッシュな女の子。
叶えたい夢は、世界中の妊婦さんに出逢うための旅をすること。
1988年、埼玉県戸田市生まれ。現在、さいたま市北区在住。
駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部在学中の2008年、話し合いの手法「ワールド・カフェ」を体験し、対話(ダイアログ)に興味を持つ。2010年、全国47都道府県でワールド・カフェを開催しながら日本中をママチャリで旅して周るプロジェクト「日本一周ママチャリキャラバン」を企画し、約1200名が参加。2011年1月、卒業論文『ワールド・カフェで起こる対話の構造』を執筆。同年2月、対話の体験と理論を学ぶワークショップ「ダイアログ・オブ・ダイアログ」を全国6都市で開催。卒業後、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に進学。同年5月から「週末対話カフェ」を開始。同年6月から「ぱぱとままになるまえに」の専属ファシリテーターとして関わり始める。同年11月、「対話の学校」講師として「ワールド・カフェ基礎講座」を開講。2012年5月、NPO底上げの農業部としてお米作りを開始。2012年11月、古瀬ワークショップデザイン事務所を設立。2013年1月、修士論文『ワールド・カフェ・デザインの可能性』を執筆。現在、フリーランスのファシリテーターとして幅広く活動中。
<現在の所属>
古瀬ワークショップデザイン事務所 代表
対話の学校 講師
NPO法人底上げ 農業部
<過去の主なプロジェクト>
日本一周ママチャリキャラバン
ダイアログ・オブ・ダイアログ
週末対話カフェ
1986年、福岡に生まれ、兵庫経由の茨城育ち。
今は豪徳寺シェアハウス「wagaya」住まい。
アスレティックトレーナーになるために、一浪の末、
2006年、早稲田大学スポーツ科学科に入学。
しかし、在学中にひょんな出逢いから「コピーライター」の
魅力を知り、大きく人生のハンドルをきる。
2009年、とあるラジオCM賞で受賞したことに弾みをつけ、
その翌年、広告制作会社になんとか入社。現在、某ショッピングセンターをはじめ様々な案件に携わっている。
「2003年助産学校卒業後、都内の大学病院勤務。同期と旅行がてら行った母乳育児セミナーで母乳の素晴らしさに感動。ぷち推進活動開始。
2008年母乳ケア修行のため都内総合病院に転職。ある暇な夜勤中に「なぜ母乳育児が広まらないのか研究しよう!」と思い立ち2011年退職し、大学院進学。
そこで人づてにぱぱまま代表西出を紹介され合流。」
細川美那子と言います◎
保育士をする中で、子ども達に生きること、暮らすことの豊かさを教えてもらいました。今は助産師を目指していて、いつか、とりあげばーちゃんになろうと思います!命を産み出し、育み、最後までともに生きるという循環の中で自分も暮らしをしていきたいなあ。お酒とおにぎりと塩豆大福が大好きです。
Web制作会社で働いています。休日などにぱぱままのイベントやWebのサポートをしています。チョコレートとコーヒー中毒。
1985年神奈川県生まれ。
フィルム写真独特の空気感が映る感じがすきで。
デジタルでもそれを撮りたいと思い、 撮り続けた末に現在の写真のカタチとなる。
「柔らかい」とか「優しい」とか
自分の空気感を写真で表現し、 撮影するときに、モデルを自ら笑わせることは少ない。
楽しかったら、自然と笑うし、笑ってと僕が言うことでの笑いは本当の笑顔ではない。
そのときのモデルの表情を大切にしています。真顔の表情もすきなんです。
主に女性ポートレートを撮影します。
写真で自分自身が生きていたこと、
あなたが生きていたことを証明したい。
撮影依頼はお問い合わせください。
info@naoyukihayashi.com