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ドキュメンタリー映画「みんなの学校」上映会+ミニワークショップを開催しました!

 
4月1日、「みんなの学校」という、ドキュメンタリー映画の上映会+ミニワークショップを開催しました。


ぱぱままのイベントは“知っている顔”や、“友だちの友だち”、“名前なんとなく聞いたことあります!”という方がいつも何割かいらっしゃるのですが、今回はほとんどが知らない・見たことない人で…。若干、緊張ぎみの運営でしたが(笑)“映画の力”を感じた一日でもありました。
 
 
映画を一つきっかけにして、「ぱぱとままになるまえに」というテーマを共有できて、よかったなぁと思っています。
きっかけや、やり方って、いろいろあっていいよね。
 
 
映画の中でいろいろと心に残るシーン、考えさせられる場面、印象に残ったことば…いろいろありました。

用意していた「振り返りシート」をもとに、いっしょに映画を観た参加者の人とミニワークショップをできたのもよかったです。
 
映画を観ただけでおわり、ではなくって、書き留めたことをもとにやりとりもでき、新たに自分の中にうまれたものもありました。
 
私はやっぱり、一方向的ではなくって、誰かとやりとりがしたいし、そっちの方が引き出される想い、ことばがあるなぁと、再認識。

赤ちゃんから、小学生、高校生、おとな、「孫がいます」という年代の人まで…。
様々な方々と場をともにできたこともよかったです。
津和野町で感じた“ほんとの多様性のある場”、少しずつこちらでもつくっていけたらいいな、と思っています。
 
 
個人的には、軸さえしっかりしていれば、小さな決まりごと(ルール)なんて、どんどん変えていっていいんだ、という感想が浮かびました。
 
自分が学校に通っていたころ、当たり前だった「整列、前ならえ。(前は体育館のステージのほう)」とかも、
『何で?』『それ必要?』って疑ってもよかった。
 
ほんとにたいせつにしたい軸からズレるなら、変えていっていい・変えていくべきなんだなぁと。
(映画の中のシーンで、転校してきたばかりの子が体育館の中まで入れず、入り口付近で座り込んでしまっていたが、体制を変えて、その子のほうを向き、生徒が話を聞いていた姿などをみて。)
 
 
「みんなの学校」というタイトルからは連想できなかった、意外にも、“バラバラ”な在り方。
支援の必要な子、そうではない子、差が、ありありとあった。
 
『“みんなで”っていうのは、責任を薄めるためにあるわけではない。』
映画の中で出てきたことば。
 
 
よく、“みんなで”って言うけど、聞こえがよくて、どこか便利に使いすぎてた。
あとは、私は、“みんなで”ってことばのあとには、何でだか“いっしょに”ということばがくっついているような感覚があったけれど、そんな“ひとつ”になる必要なんてなくて、
映画の中の問いで出てきてたみたいに、「みんなって誰?→ひとりひとり。→ひとりひとりって?→自分→自分、と思うひと手あげて→“みんな”が手をあげる…」みたいな、自分じぶんじぶん…の集合体が、みんな、というような…。
認識が変わりました。
 
 
鳥の眼(上や遠くからみること)と虫の眼(地のほう、近くからみること)、両方たいせつにしたい、という思いも。
 
 
まだまだ映画を観たことで味わえるいろんなことがある。
もうちょっとじっくり捉えてみながら、生活してみようと思います。
(そこらへんの話題でおしゃべりできそうなひと、おしゃべりしましょう!)
 
 
「みんなで観たいから、やる。」シンプルな想いからはじまった、手作り映画上映会。

みんなのおかげでできました。ありがとうございました!
 
 
次のぱぱままの企画は、6月9日!
もうじきお知らせできると思います!ロックの日、あけといてくださいね☆
 
 

ひろみ