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見えない誰かと話すことには慣れてほしくない。

 

 

 

こないだ、渋谷の街を歩いていたら

男の人が話していた。一人で。

 

かと思ったら、イヤホンについたマイクで誰かと話してた。

 

でも、ケータイはポッケに入ってるし、イヤホンも小さいからよくわからないしで、

なんだかとっても滑稽な様子だったのだ。

 

「これを、子どもが見たらどう思うんだろう?」と思った。

 

『あー!あの人、一人でしゃべってるよ?』と言うのか、

それとも、あの滑稽な様子が “当たり前”になってしまうのか・・・。

 

自分の子どもができたら、「見えない誰かと話すことには慣れてほしくないな。」と思った。

話している人には失礼でもいいから(まぁ、よくはないんだろうけれど。)

『あー!あの人、一人でしゃべってるよ?』という子になってほしい。

 

ほんとに、変だったのだ。

目の前には誰もいないのに、雑踏の中を歩く人に目を向けながら、“見えない誰か”と笑っていた、その様子が。

 

不便でもいい。時間やお金がかかってもいいから、会いにいきたい。

なかなか会えなくたっていい。会えたときにもの凄くうれしいはず。

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機械を通さずに、声を聞いてほしい。

ちょっと緊張してもいい。目を見て話して、そして話を聞きたい。

 

語っていることばの裏側の、ことばにならない想いや感情を、表情やからだの使い方から読み取りたい。

何より、どうせ笑うなら、雑踏を見つめて笑うよりも、あなたを見つめて笑いたい。

 

そんな普通の欲求は、忘れないでいたいものですね。

 

ひろみ