くしゃみ1つの回数でも、違っていたら、今の人生はないと思う。
おばあちゃんちで、ふと読売新聞の「編集手帳」を読んでいて知った詩人の吉野弘さんという方がいる。
編集手帳の中で引用されていた吉野さんの「生命は」という詩の一節を、すごく気に入って。
「生命は」以外の、吉野さんの様々な詩も読み、いろんな想いを巡らせた。
最近、言葉にならない想いや感情を抱くことが多い。
そんなとき、私はけっこう詩集に助けられたりします。
いい感情も、あんまり気持ちよくないなって思う感情も、大切にして。
急がなくていいから、立ち止まりたいときには止まって、揺れていこうと思う。
「ムリに歩いたり、答えを出す必要はない。」と思えるようになったことは、成長かな。
題名は、旅をしていた昔から感じていた持論。
くしゃみ1つの回数でも、違っていたら、今の人生はないと思う。
今でも、思ってること。
だから、いい感情も、気持ちよくな感情も、きっと、何かに。
最後に、吉野さんの詩を。
「生命は」
生命は
自分自身だけでは簡潔できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不十分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
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